報告者「神戸から福島へ 福島から神戸へ」会員 小川 淑子
2012年2月26日
福島から帰って数日後の暖かい日、テレビニュ―スで「今日はとても暖かくなり子どもたちは公園で楽しそうに遊んでいました」とアナウンサーの声が流れた。ドキッととした。遊ばせたくても遊ばせてやれない福島のお母さんたちは、このニュースをどのような思いで聞いただろう。
この辛さをどこへ持っていけばよいのか、誰かに聞いてほしい。この辛さを受け止めている保育園の先生方のやるせない心がひしひしと伝わってきた。
先の見えないこの苦しみを少しでも共感できたらと思い、17年前の幼稚園の子どもの話をさせていただいた。あの時神戸では「先生この柱さわってもええか」「ええよ、なんで」「家の柱さわったら家倒れるから」福島では「お母さんここさわっていい?」「だめ、放射能があるから」遊具も土も触れない幼児と極度に神経質にならざるを得ない母親の苦しみに心の痛む一日だった。福島市の子育て支援に関わる方々が故郷を離れ遠くへ避難している子どもたちが楽しい日々が過ごせるようにと切に願う気持ちも伝わってきた。今困難な中での子育てと保育に、私たちも息長く心を寄り添っていきたいと思う。