講演実績と記録

squear 水戸市立吉田小学校 講演「阪神・淡路大震災から学んだこと」 

2014年8月22日

講師:代表理事 大濱義弘

翌日8月23日 産経新聞に掲載されました

レジュメ

 

squear 岸和田市町会連合会主催 講演「巨大災害に備えて~わたしたちにできること~」

2013年8月17日講演内容PDF

講師:専務理事 金芳 外城雄

20130817kishiwada

 

squear 記念講演会

日時:平成22年1月20日(水)午後1時半~3時半

会場:神戸国際会議場 502会議室

「いのち語り継ぐ」NPO会員のリレー講話

喜旦 元和、岩本しず子、大濱 義弘、長手 努、辻井 章、奥村 儀弘氏ほか

配布資料:記念広報誌、NPO参加チラシ、「危機管理百日の鼓動」(無料配布)

 

squear 減災講話1

「南海トラフ巨大災害に備える」・・・語り部資料から掲載

平成24年9月29日に内閣府の有識者会議が発表した南海トラフ巨大地震の想定では、最大で冬・深夜で避難率が低い場合は死者32万3千人としています。ただ、津波避難ビルに多くの人が逃げ込むことができれば、ビルの効果を勘案していない現在の推計に比べ、冬の深夜の場合で死者は2~5割減らせるとされています。さらに、地震発生から10分後に住民の7割が避難を始めれば、最大で8割減らせると試算しています(12・9・30読売新聞)。また、各府県の死者数、全壊棟数の最大値も発表されていますが、ちなみに兵庫県は内海でもあり死者5,800人、大阪府7,900人と想定されています。

また、この巨大地震の発生に関して、京都大学大学院人間・環境研究科教授の鎌田浩毅氏が「特別授業3・11君たちはどう生きるか」(河出書房新書、12年3月)の中で、「南海トラフで起きる巨大地震の連動は、今回の東日本大震災がただちに誘発するものではなく、まったく独立に起きるということです。というのは、南海トラフ沿いに起きた巨大地震の過去五回程度の記録を見ると、時間的な規則性があるからです。したがって「3/11」に関係なく、南海トラフ上のスケジュールに従って2030年代に起きる、と専門家は予測しているのです」と指摘されています。それでは、こうした地震予測にともなう巨大災害の被害を少しでも減少させるためにわたしたちはどう行動していくべきなのでしょうか。

減災プラン(PRAN)の推進と連携(Cooperation)

二つの巨大災害対応が教えてくれた学びは、平成24年版科学技術白書にもあるように「減災力」の大切さです。西日本巨大災害の発災が想定されるいま、この教訓の定着がぜひとも必要です。そして、この減災力を四つの視点から減災文化として定着させるための方策として,「減災プラン+C」として訴えていきたいと考えています。

(1)備える(PREPARE)

 第1には、住宅耐震化と家具の固定です。ただ、耐震化には相当の費用負担が生じることでもあり、国や自治体の助成制度の拡充が求められます。神戸市の補助制度では、耐震診断は無料で、昭和56年以前の住宅は、耐震改修では設計補助と工事補助で最高で137万円の補助制度があります。

つぎに備蓄体制です。少なくとも三日分の水、食料の備蓄です。巨大災害の発生時には数日間は救援の手がまわらないと考えるべきです。しかし、これまでのおおくのアンケート調査で三日分の備蓄をしている家庭は三割にも満ちません。このことは大学の授業や講演会で繰り返しお話していますが、満足な答えをききません。

(2)逃げる(RUNAWAY)

 釜石の奇跡で知られた「津波てんでんこ」の教訓です。釜石ではこの教訓が現実に活かされたことで、約3,000人の児童生徒の生存率が99.8%であったと報告されています。東日本大震災で、津波警報がでていたにもかかわらず、初動の津波高予測が小さかったために、住民の4割ものかたが避難しなかったと指摘されています。お互いのことを信じて一人でも逃げ切ることを徹底して教えていきたいものです。これを「奇跡」とも言われていますが、わたしには、教訓からの学びの実践であり日ごろからの熱心な取り組みがあっての「軌跡」ではないかと考えます。この「津波てんでんこ」を訴えられてきた山下文男さんの著書(「津波てんでんこ 近代日本の津波史」新日本出版社、2008年1月)についての紹介記事をここで引用します(松岡正剛著「千夜千冊3・11を読む」平凡社、2012年7月)。「本書の著者の山下文男さんの一族も明治の津波で九人が溺死した。山下さんが生まれ育った岩手県大船渡の綾里地区石浜とういう集落は、全住民百八十七人のうち百四十一人が海に巻き込まれて死んだ。その後、綾里全域の死者千三百五十人にあたる人口が回復するのに二十年以上がかかった。そういう村に育った山下さんは、昭和八年三月三日の昭和三陸津波のときには小学校三年生になっていた。昭和三陸津波は明治三陸津波から数えてわずか三十七年後のことである。・・・山下文男さんは、1990年の岩手県田老町で開かれた第一回「全国沿岸市町村津波サミット」で特別講演をしたとき、自身の体験をまじえて「津波てんでんこ」を訴えたそうだ。津波がきたらすぐ逃げなさい。そこでは生きるための非情というものがどうしても必要だ。そうでなければ家族もろとも死ぬ。津波とはそういうものなのだ。逃げ遅れて、それでいいのか。みんなが死んだら、いったい津波の苦悩を誰が伝えるのか」とあり、悲痛な津波の報告です。なお、山下文男さんは11年12月に肺炎のため87歳でお亡くなりになっています。

(3)助ける(ASSIST)

 ここでは巨大災害時の広域連合、地域連携、そして防災教育を根底においた人材育成が問われています。わたしは各地の防災組織から講話の依頼を受けますが、助けあいの精神は、日本文化の根底になっているとお話しています。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が、大震災特別講義として出版された本の中で、「日本人が見せた混乱の中での秩序と礼節は世界の人が感動した」とあります(「マイケル・サンデル 大震災特別講義 私たちはどう生きるのか」NHK出版、2011年5月)。

(4)伝える(NEXT)

 次世代の若者にこの大震災の学びを伝えていくことが問われています。それは、防災教育、人材育成、リーダー育成です。こころやさしいのが最近の若者の特徴ですが、コミュニケーション能力に弱い若者が増えてきています、しかし、これは学生だけでなく社会人にもいえることです。「わたしこれやっておきます」と、困っている人のそばに寄りそうことがコミュニケーションの基本です。そして相手目線に立って素直に行動できる人材を育てていきたいと強く思うこのごろです。

 心のケアに関して、鷲田清一・赤坂憲雄著(「東北の震災と想像力」講談社、12年3月)の中に以下の指摘がありましたので参考までに取り上げました。

「兵庫県の精神医療者を中心としたチームの支援がいちばんうまくいったようなんですが、兵庫県のチームは『みごとに、何も言わない』で、『テーブルが汚れていたらそっと拭き取る』ような支援に徹していたそうです。」―心のケアとは押しつけではなく被災者のそばに寄りそうことを教えてくれています。また、神戸での体験ですが、被災者のなかでも元気にしておられたのは、手に職をお持ちの大工さんや調理師、散髪屋、植木屋さんたちでした。被災者であっても人のために役立つ動きはその人自身を前向きにするのだと、教えられました。

 この減災プランは今後想定される西日本巨大災害に備えて重要なキーワードとなると考えますが、残念ながら広く市民に浸透していないのが現状です。

(5)連携する(COOPERATION)

それらの活動を支えるのが連携する力です。わたしたちは少しでもこの対策が充実するようにNPO活動をとおしてお役に立てればと思っています。

減災プランの自己採点は?

 16問中何問○がありましたでしょうか?

(1)備える □住宅耐震化    □家具の固定  □家族会議の開催  □防災訓練参加

(2)逃げる  □率先避難行動   □避難ビルの所在 □防災マップ      □防潮堤の設備

(3)助ける  □要援護者対策   □避難所の周知 □消防団活動    □コミュニティ組織

(4)伝える □語り部活動    □防災教育の実践 □教訓の伝承     □若手参入の工夫

 

squear 減災講話2

2013年5月15日 京都大学講義資料より

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